変わっていくものと、変わらないもの。
先日、高校時代の友人と久しぶりに食事をした。
高校を卒業し、大学1,2年生の頃までは頻繁に会い、楽しくてかけがえのない時間を過ごした仲間。
だけど、歳を重ね、環境が変わればお互いに気持ちの変化もあり、すれ違いが生じてくる。実際私たちはお互いを尊重することを忘れ、自分本位な言葉ばかりを投げかけていた気がする。というか、気持ちが曇る言葉や話題を多く聞かされ、私が嫌になっていただけなのかもしれない。
食事の最中、言葉がなくなる瞬間が、話すことがないと思ってしまう瞬間があった。そんなとき、隣に座っていた彼女は頻繁に「卒業式の前日、楽しかったよね。」そんな言葉を何度聞いただろう。
私たちの空間は時が止まったままのように思えてしょうがなかった。
「私たちはきっとこの先もう会うことはないんだろうな。」
そう思いながら、私たちは手を振って別れた。
あの日以来、私たちのLINEグループは動くことがなかった。
私は心のどこかで、この自然な別れを望んでいた。
私たちがどれくらいすれ違ってしまったのかを指摘しあい、
「会いたくない。」
そう思いながら惰性で付き合っていく関係を私は友達だと思いたくなかった。
だけど、あの頃全力で楽しかった青春の1ページを共に過ごしたのは確かに彼女たちだ。
私はそんな綺麗で純情な思い出を大切にしまいたかった。
大人になった今の私たちで、当時の彼女たちを汚すことはしたくなかったから。
これでよかった。こうして言葉に記すことで気持ちの整理をし、また新しい1歩を進めていく。それが人生だ。
明日から4月になる。
変わっていくものが関係であれば、
変わらないものは思い出だ。
また、一歩一歩人生を進めて行かなければならない。
時が止まってしまえばいいのに、そう思いながら私たちは生きている。
あの頃に戻りたい
「あの頃に戻りたい」
一度くらいは思ったことあるんじゃないかな。
最近とても強く思う、そんな言葉。
私はこの間大学を卒業した。もうすぐ新社会人になろうとしている。社会人になることに対してネガティブなイメージしかないからなのか、私が社会不適合者であるからなのか、明確な理由はないのだけど、とても社会に出たくない。マリッジブルーならぬソーシャルブルー。
それと同時に4年間暮らした家から新居へ越してきたことへの不安感もある。やっと自分の町だと思えるようになったあの場所へさよならを告げ、また新たな町へやって来た。この町を好きになり、私の町となる日はやってくるのか。
まだまだ慣れないこの土地で、環境で、新しい生活を始めるのは正直しんどい。
思えば、大学へ入学する時もこんな気持ちだったな。
多分、あの頃の方が不安感は大きかったはず。高校を卒業して、地元を離れて大学の近くへ引っ越した4年前。世間知らずの、親に守られてぬくぬくと育っていた子どもが、急に1人で暮らし始めるのは精神的にも感情的にもきつかった。それに比べたら、今は1人にも慣れてるし、生きていく術をあの頃よりは持っている。比べるのは変だけど、あの頃よりなまだマシな気がする。だけど、今の方が辛いって思うのはあの頃の感情を忘れたことと辛い気持ちを忘れるくらい楽しい思い出に塗り替える事ができたから。なのかもしれない。
だんだん大人にならなきゃいけなくて、でも心はついて行かない。そんなことばっかり。これはわたしだけじゃない。きっと、「わかるわかる。」そう共感してくれる人もいるよね。
でも私たちは無理矢理大人ぶらなきゃいけない。そんなの疲れるだけだけど、そうしなきゃ生きていけない。
私があの頃に戻りたいって思うのは、4年前のあの頃じゃなくて、母親と手を繋いで歩いていたあの頃。何も知らない、母親と私と家族と、この暮らしがずっと続くんだーって思っていたあの頃が尊い。
だけど両親もそうしてきたように、いつから親元を離れる時がくる。兄弟がそれぞれ家庭を持つときも来るし、もちろん私もいつか家庭を築くだろう。だけどそんな当たり前の行事を迎えることに私はまだ抗っていたいって思う。
母と小さい子どもの私で居たいんだ。そうすれば、まだあの頃のまま社会から守られている自分で居られる気がするから。
きっとこれは現実逃避をしたいだけの願望でしかない。
でも、そんな願望持っていてもいいじゃない。
あともう少しで私も外へ出る日がやって来る。あの頃があるから頑張ろうって思うし、頑張らなきゃいけない。生きる理由はよく分からないけど、両親が沢山の愛情を注いでくれた分、私は私の人生をちゃんと歩まなきゃいけない義務がある。
来年の今頃、そんな不安感持つ必要なんてないよ!今とそんな変わらないし、普通に生きてればいいんだよ!そう言っていたいな。